自分をお留守にするひと

スピロジカル生活

きっぽりあんの歌音さんが、FBで「お母さん業をやってると、自分がお留守になる」って投稿してて、
ほんまやなーと思って。

わたしの場合は、クライアントさんのことでお留守になること多いかな。
集中して仕事をしてるとき、どっかにイッちゃってる気はする。多分、フローとか、ゾーンて呼ばれる状態なんだろうけど。

過去が、他人が、環境が!って言い訳をして、ないものねだりをするひとは、そっちに意識がいっていて、自分がお留守なんだよね。

自分のことはさておいて、周りが自分に都合よくしてくれないからと、不満でいっぱい。不満いっぱいの場所は居心地悪いから、他人を心配するフリして、あえて、自分をお留守にする。

自分の真ん中を、自分ではどうにもならないことでいっぱいにして、行くあてのない意識は、他人や環境や物へと飛んで行く。

念をとばすとか、生霊の状態だよね。

だいじょうぶ

だから、「だいじょうぶ」っていう、魔法の言葉があるんだ。

そんなに心配して、念を飛ばさなくてもだいじょうぶ。

お子さんはお子さんなりに元気にしてるし、
遠く離れた親戚だって、だいじょうぶ。

何にもできないことを、悔やむ必要もない。
それが、そのひとにとっての最善だと、祈るだけ。

自分で、自分を満たす。
何を面白いと思い、何を喜び、何を楽しいと思うのか。そーゆーのを実生活のなかで見つけて行くのが、人生であり、使命なんだな、と思う次第。

そして。
逆に、他人の意識をひっぱって、我が物にするひともいる。

向けられた意識は、エネルギーでもあるから。

たぐりよせたエネルギーを束ねて、コントロールできるだけの、精神のつよさ、身体のつよさがあることが大前提だけど、
これができるひとが、カリスマと呼ばれるんですね。

そんな視点で、注目を集めている人、インフルエンサーと呼ばれるひとを見てみると面白いよ。

ちなみになんだけど、「わたしには精神的なつよさも、身体的なつよさもないわ」って、自分責めの材料にすんのは、違うからね。それこそ、自分をお留守にする思考です。
適材適所です。「みんな違って、みんな良い」のだから

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